ここらでちょいと身の上話 〜仮面ライダーは、本当に自分の隣に居てくれたのか〜
『俺は死なない。
俺が生きた証をこの世に刻み続けるまで、
……永遠に。』
このブログを読む様な方ならおわかりであろう、仮面ライダーエターナル、大道克己の言葉。
好きあらば死にたいという衝動に駆られる鬱で完全に病んでいる時(現在進行形)、その言葉には非常に勇気付けられたものだ。
死にたくなるそんな時も、なんとか「生きてやる」とずっと踏ん張り続けてきた。
しかし最近、それに限界がみえた。
好きなものが好き、オタクというか誰もが持ちうる、そんな当然の感情を、ある時途端になくしてしまったらどうだろうか。
挨拶が遅くなりました、相良まことです。
9月1日、令和の幕開け、そして平成が本当に過ぎ去ってしまった、過去になってしまった今、何となしにクソデカ感情の整理をしたくなりました。
いきなりですが、自分にとって、タブレットのキーボードを操作している時が、自分が一番正直になれる瞬間なんです。
でもTwitterじゃなんか文字数足りないしすぐ忘れちゃうしで。
そんな訳で自分の仮面ライダーとスーパー戦隊、特に平成ライダーに対する、ただ「好き」という言葉では語りきれない、かーなーり面倒な感情をぶち撒けさせて頂きます。
言葉も支離滅裂、構成もグダグダな長文になる事請け合いですが、それでも構わない方はこの先へどうぞ。
それでは本編スタートです。
そんな訳で。
まず少し自分の半生を振り返りたい。
自分は子供時代、ヒーローを知らずに育った。
仮面ライダー龍騎とハリケンジャーの物語が佳境を迎えてた(?)秋頃にこの世に生をうけた。この当時は仮面ライダーがまだ今の様にシリーズとして定着してなかったという事実にちょっと驚いた。
それから小学校に入学するまでの間は殆ど物心のないぼーっとした幼少期を過ごしていた。絵を描く事が好きな、ちょっと変わった内気な子供だったのだろう。
男子達がヒーローに夢中な事さえ知らずにいた。
その頃のニチアサの記憶といえば、もっぱらプリキュア5だ。
当時緑色が好きだったから、という子供らしい安直な理由でキュアミントが好きだったのだが、後にそういう子供は少数派だった事が判明し、ほんのりと落ち込んだ。
当時ゴーオンジャーを観てたら絶対グリーン/範人に即落ちだっただろう。早輝ちゃんそっちのけで。
ちなみにSHTにハマる様になってから観たゴーオンジャーの推しは走輔と範人だ(どうでもいい)。
範人推しは結局変わらない。ショタコンの血には抗えないのだ。女装可愛かった。
…
はっ…!
いかん、かなり脱線してしまった…。
ゴーオンジャー、ほんとに大好きな戦隊なんス…。ごめんッス。
っと。話を戻しましょう。
その頃の仮面ライダーとの関わりといえば、母親の気まぐれで何となくついていた「キバ」をたまにチラチラ観てた程度で、あまり記憶になかったが、SHTにハマって以降キバの主題歌をレンタルCDで聴いた時は、言い得ぬ懐かしさが込み上げて来たのを覚えてる。
最近になって母親がクラスメート(?)の男子のお母様と当時「電王」に関して話してた事を知った。
「ねえねえ知ってる?今度のライダー、電車に乗るらしいのよ。ウケない?w(脚色有)」
その衝撃、リアタイで味わっておきたかった。嗚呼、母よ、何故日曜朝八時にテレビ朝日にチャンネルをセットしておかなかったのか。
リアタイ年齢だった頃の作品を観ていると、幾度となくこういった感情に襲われる。シンケンジャーとかシンケンジャーとかシンケンジャーとか。
そんなこんなで、ヒーローに縁のなかった子供時代を過ごした私。
それはそれは楽しかった小学生時代の話はいったん割愛させてもらって。
書いてて随分長くなってしまったので、これ以降次回に持ち越しで。
次回、特撮との出会い。
そして、不登校になった。
中学生時代編、やります。
予告する事で逃げないダイナミックスタイル。
それはそうと「ウルトラマンはじめました」の方はどうしたんだ、という怒号が聞こえてきそうですが、そちらはまた折を見て。
言い訳をさせて頂くと、ウルトラマン事情に関する知識が本当に全くないのと、ここ最近、というか慢性的な悩みなのですが、気力に体力が落ちに落ちて今タイガがテレビのハードディスク圧迫してます。それとリアタイも出来ていません。仮にYouTubeの配信で観るとしても、おおよそ23分でも集中が持たないんです。我ながらどえらい年寄りオタクあるあるみたいな事言ってますね。まだまだ華のJK2(笑)なのに。
まあどちらにしろ、気が向いた時に更新の気まぐれスタイルでやっていきたいですね。
そんな訳で、今回も何だかんだご清聴有り難う御座いました。
お相手は私、相良まことでした。
一刀両断いざ参る。